編集部より
遠く離れた異国の地で働く娘が、両親を初めて海外に招いた──。
それは、言葉にしづらい“ありがとう”を、旅という形で伝えた瞬間でした。
今回の体験談は、親子それぞれが“見たことのない姿”を知り、
少し照れくさく、でも確かに心がつながったひとときの物語です。
タイ赴任、そして「行ってみたい」という両親のひと言
数年前、私は仕事の都合でタイ・バンコクへ赴任しました。
異国の地での生活は、刺激的でありながら、どこか孤独でもありました。
そんなある日、日本にいる両親から連絡がありました。
「バンコクに行ってみたいんだけど、大丈夫か?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少し温かくなりました。
社会人になってからも、実家に暮らし続け、
生活費ひとつ納めたことのない私にとって、
“親孝行”という言葉は、どこか遠いもののように感じていたからです。
だからこそ、これを機に少しでも恩返しができたらと思い、
日本~タイ間の往復航空券と宿泊費をプレゼントすることにしました。
それが、私なりの初めての親孝行でした。
直行便と安心を贈る──15万円の航空券
両親は英語が話せず、海外旅行の経験もほとんどありません。
そのため、成田~バンコク間は直行便で、日系航空会社のチケットを手配しました。
費用は少し高めでしたが、安心には代えられません。
往復でおよそ15万円。
宿泊先には、キッチンと洗濯機がついたサービスアパートメントを選びました。
一泊あたり1万円ほどの部屋を4泊分。
食費や観光費用も合わせると、合計で約20万円。
金額だけ見れば大きな出費ですが、
「両親が安心して海外を楽しめる」ことこそ、
何よりも価値のある贈り物だと感じていました。
はじめての海外、そして“娘の姿”に見せた笑顔
両親にとって、海外渡航は人生で初めての経験でした。
ツアーガイドもおらず、自分たちだけで空港チェックインをして、
飛行機に乗り込むことすら緊張の連続だったようです。
そんな二人が無事にバンコクへ到着したとき、
私は空港の到着ロビーで両親を見つけ、思わず駆け寄りました。
母が私の顔を見るなり、「ちゃんとやってるのね」とほっとしたように笑いました。
滞在中は、観光地の手配から食事の予約まで、すべて私が担当。
寺院やマーケット、川沿いのレストラン──
タイという国の色彩と匂いに包まれながら、
両親のはしゃぐ姿を見るのが、なにより嬉しかったです。
日本では見ることのなかった、父の少し頼りなげな一面。
母が初めて異国の料理を食べて「美味しいね」と笑った瞬間。
どれも私にとって、心に残る風景になりました。
両親が見た「大人になった娘」
この旅で、両親が一番驚いていたのは、
私が海外で一人暮らしをしながら、
現地の人と英語を交えて生活している姿だったようです。
「お前が、こんなにしっかりしてるなんてな」
父がホテルのロビーでつぶやいた言葉が、今でも忘れられません。
両親から見れば、私はいつまでも“家にいる娘”のままだったのでしょう。
でもこの旅を通して、彼らの中で私は
“ひとりの大人として認められた”のだと感じました。
私が旅費や宿泊費をプレゼントしたことにも感激してくれて、
「ツアーじゃなくても、娘がいれば十分だな」と笑ってくれたその言葉が、
何よりの報酬でした。
離れて暮らす日々の中でもできる、小さな親孝行
バンコクでの時間は、あっという間に過ぎていきました。
帰国の朝、空港で手を振る母の姿を見ながら、
“次はいつ会えるだろう”と胸が少し締めつけられました。
それからというもの、私は日々、両親に連絡を取るようになりました。
孫の写真を送ったり、タイの街角の風景を共有したり。
それだけでも、十分に親孝行なのだと今は思います。
両親も少しずつ年を重ね、長時間のフライトは厳しくなってきています。
だからこそ、「本当に体力があるうちに、
私が行ってよかった場所に連れて行ってあげたい」
──そう心に決めています。
あのときのバンコク旅行は、ただの旅ではなく、
“親子としての関係がもう一段深まった時間”だったのだと感じます。
編集部あとがき
親孝行には、豪華なプレゼントも派手な演出もいりません。
“安心を贈る”──それだけで、心は通じ合うものです。
海外という非日常の中で、
互いの知らなかった一面を見つめ合い、
親子として新たな絆が生まれる。
このエピソードは、
「親孝行の本質は、距離ではなく心の近さにある」
ということを静かに教えてくれます。
