親と同じ屋根の下で生きるという選択──1500万円のリフォームに込めた「ありがとう」

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実家のリフォーム

編集部より

親と離れて暮らすか、一緒に暮らすか。

人生のある時期に、多くの人が向き合う問いです。

今回ご紹介するのは、経済的にも精神的にも決して楽ではない選択をしたある男性の親孝行。

いまを共に生きることを選んだ、静かな決意の物語です。

リフォームという形で届けた感謝の気持ち

私は、実家を二世帯住宅にリフォームしました。費用はすべて私の負担で、総額およそ一千五百万円です。

もちろん、親とは別の場所に家を構えるという選択肢もありました。そのほうが精神的にも経済的にも、正直言って楽だったと思います。

それでも私がこの道を選んだのは、いつかやってくる親の老いという問題を先送りにしたくなかったからです。どうせ避けられないのなら、早めに向き合って、できるだけ穏やかに支えたいと思いました。

そう考えたとき、一緒に住むという選択こそ、両親にとっていちばんの安心なのではないかと感じたのです。

リフォームを決意したのは、そんな理由からでした。両親が苦労して建てた家の面影を残しながら、私たちの暮らしに合うように手を加える。それはまるで、過去と未来をつなぐような作業でした。

普段は無口な父の、わずかな笑顔

私の父は、昔から無口で気難しい人でした。いつもしかめっ面で、機嫌が悪いように見えることも少なくありません。

そんな父にリフォームの話を切り出したとき、最初は驚いたようでした。けれど次第に、どこか嬉しそうな表情を見せるようになっていきました。

打ち合わせにも積極的に参加し、間取りの図面を覗き込みながら、この部屋は風通しがいいな、ここは昔の面影を残してほしいと穏やかに話す姿がありました。

完成間近のある夜、父と二人でお酒を飲む機会がありました。静かにグラスを傾けながら、父がぽつりと言いました。

家を持ったら、男として一人前だな。

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなりました。まるで、父が息子の成長を誇りに思ってくれているように感じたのです。あのとき見せた、普段は見せない笑顔が、今も忘れられません。

一緒に暮らすという現実と日々の小さな衝突

もちろん、一緒に暮らすというのは、きれいごとばかりではありません。生活リズムの違いや価値観のずれで、時には小さな喧嘩もあります。食事の味付けや洗濯の干し方など、些細なことで言い合いになることもあります。

でも、そんな日々のぶつかりがあるのも、一緒にいる証拠です。感情をぶつけ合えるのは、まだお互いを大切に思っているからこそだと感じます。

同じ屋根の下で過ごす時間は、良くも悪くも濃密です。それでも、父や母の笑顔を間近に見るたびに、この選択は間違っていなかったと心から思えるのです。

家族の面影を残しながら未来を描く家

リフォームの設計段階では、私たち世帯の希望を取り入れながらも、両親が長年暮らしてきた家の記憶を壊さないことを意識しました。

昔ながらの柱や障子の枠を残し、リビングには父が選んだ木の温もりを生かした床材を。玄関先には、母が大切にしていた鉢植えのスペースをそのまま設けました。

そうして完成した二世帯新居は、古さと新しさが共存する、どこか懐かしくも誇らしい空間になりました。

完成の日、普段あまり感情を表に出さない父が、玄関で立ち止まり、わずかに笑いました。その一瞬の表情に、やってよかったと心から思いました。

これからの夢、家族で行くはじめての旅行

実は私は、子どものころも大人になってからも、両親と旅行に行ったことが一度もありません。

それでも、いつか一緒に旅をしてみたいと思っています。旅行という非日常の中でこそ、人は少し素直になれる気がします。お酒を飲みながら、肩の力を抜いて、家族としての会話をもう一度交わしてみたい。

最近になって、その気持ちがより強くなったのは、自分がちょうど、かつての父と同じ歳になったからかもしれません。ようやく、あのときの父の苦労や想いを理解できるようになった今、ありがとうを改めて伝える機会をつくりたいと思っています。

編集部あとがき

家をリフォームするという決断には、勇気も覚悟も必要です。けれど、そこに込められた「いまを共に生きたい」という想いが、このお話のいちばん深い親孝行なのだと思います。

離れていても、そばにいても、親を想う気持ちは同じ。けれど、一緒に過ごす時間の中でしか生まれない絆があります。

家という形に込めたありがとうは、きっとこれからも、家族の毎日の中で少しずつ育っていくのかもしれません。

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